昨日2022/03/07に厚生労働省より指定薬物等を定める省令が公布されました。危険ドラッグの成分6物質を新たに指定薬物に指定-厚生労働省
厚生労働省は、本日付けで危険ドラッグに含まれる別紙の6物質を新たに「指定薬物」(※1)として指定する省令(※2)を公布し、令和4年3月17日に施行することとしましたので、お知らせします。
新たに指定された6物質は、3月4日の薬事・食品衛生審議会薬事分科会指定薬物部会において、指定薬物とすることが適当とされた物質であるため、早急に指定(※3)を行うこととなります。
施行後は、これらの物質とこれらの物質を含む製品について、医療等の用途以外の目的での製造、輸入、販売、所持、使用等が禁止されます。
なお、これらの物質は、輸入時に新たに発見された物質や海外で流通している物質であり、厚生労働省は危険ドラッグが海外から輸入され、乱用されることのないよう水際(輸入)対策を強化していく方針です。
また、今後、インターネットによる販売も含め、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律に基づく無承認無許可医薬品としての指導取締りも強化していく方針です。
危険ドラッグについては、販売、購入、輸入等をしないよう強く警告いたします。
HHC (正式名称 Hexahydrocannabinol(ヘキサヒドロカンナビノール)も指定薬物として規制され、所持使用も禁止となります。厚生労働省ホームページに記載のとおりHHCが「危険ドラッグ」という認識になってしまったことに誠に遺憾に思います。

指定薬物部会委員12名による1時間に及ぶWEB会議によって今回の規制が決定したようで、"議事録は非公開となっております。国民の治療の選択権さえ否定している訳ですから、議事録くらい公開すべきと思います。"と声を上げておられる事業者様もおられます。
HHCを取り扱われていた事業者様からしたら散々ぱらな話だと思います。そもそも会議でどのような議論が行われていたのか?願わくば私も視聴したかったところです。
まもなく大麻使用罪が創設される事を前提とした上で今回の規制が決定したであろうと考えますが、私としてはどこか腑に落ちない点が残ります。仄聞したに過ぎない情報ですが「医療面での活用を検討している。」との話もあるようで。
医療面での活用が実際に現実的に検討されていたとしても、HHCを"危険ドラッグという認識"を付けて規制するという行為を現実的に目の当たりにして、なんだか腑に落ちないと思ってしまうのは私だけでしょうか?
HHCのハーブの商品を日頃より愛用させていただいていた事もあり、指定薬物として規制されることが決定した今日となっては、今後からはHHCを嗜みたいと思う思考ですら大半の国民からしてみれば"脱法ハーブを嗜むジャンキー"と何ら変わりはないのであろうとなってしまう事が一消費者としても腑に落ちない。
HHCのハーブに関してありがたい事に、散々と言っていいほど体感させて頂いた側の人間ではあると思いますが、あくまで主観の体感としてはそろそろ寝るかと思った頃合いに嗜めば、少し寝れそうな気がするという体感を感じた程度。アルコールの微量に含まれるお酒などに非常に似ていると感じました。
しかし体感がアルコールに似ているといってもビールでもない。「ビアリー」というアルコール分0.5%のビールテイスト飲料のようなものに体感が近かったと感じた。
養命酒などの薬用とされているお酒を少量でも飲めばたちまち顔が赤面してしまう自身からしてみれば、HHCのハーブという商品はそのように「酔う」という体感を感じずに眠りにつきやすくなる、日頃より凝り固まった身体が多少楽に感じるなどのありがたいものであった。
「馬鹿と鋏は使いよう」という諺の対義語、どんなものでも使い方を間違えたり悪用しようとするのも人間の性であることも頭では理解をしている。それは落とせば割れて凶器にもなり得ないガラスのコップなどもそうで、どんな物にも言える事であると思う。大麻や大麻の成分であるカンナビノイドも然り。
しかし大麻使用罪が創設されるとなれば尚更、HHCのハーブのようなものが代替え品として存在する事が世の中の自分以外の誰かにとってもありがたい事でもあるのだろうなと思いつつあった、一個人の気持ちだけではどうにもならないものが法律という世の常なんだなと再認識させられる。
これが過ぎた世代で流行したとされる、何が使用されているのかも不明な(ケミカルなどの)"脱法ハーブ"とやらと同じような認識とされることには非常に残念に思う。
脱法ハーブに関しては無知に等しいですが、先日知人とお茶をした際に「脱法ハーブって危険なんでしょ?突然自殺したくなるって聞いた。」といった内容の話を聞き、今後はHHCについても一般国民の認識がそのようなものと何ら変わりのないものとなってしまう事に悲しいような、何とも言葉で表現しようのない気持ちになる。
法律で指定薬物とされる以上、自分自身の日常に組み込まれ始めていたものを「仕方ない」と諦めて手放すことしかできない。私にできる事はこうしてこのホームページに記事を残す事以外何も出来ない。
HHC規制について厚生労働省の見解

何故今回のHHCの規制に至ったのか?厚生労働省側の見解を考えてみました。あくまで独自の視点です。
①医療面での活用を視野に入れている為、現段階から規制対象に。
医薬品、製薬会社、医療面での利権絡みの問題。市販薬も然り、売れれば売れるほど製薬会社は儲かりますからね。
ニュースで若者の市販薬過剰摂取問題が深刻になりつつあると報道しつつ、現実では市販薬が売れれば売れるほど製薬会社が儲かる後ろ暗い側面もある。利権や癒着などの重力の非常に重たい面から人間は共々なかなか抜け出せないようで。
②次々と発見され流通するカンナビノイドが煩わしい
現在も収束のつく見込みのないコロナウィルス問題で医療機関が逼迫する現状が続く中、行政機関も大麻だのカンナビノイドなど構ってられる場合ではない事も想像するには容易い。
新たなカンナビノイドが次々と発見され、国内に輸入され販売されていくであろう動きに現時点で終止符を打っておきたかったとも考えられないでしょうか?
うつや不眠に効くなどのカンナビノイドが人体に及ぼすメリットや、その反面である人体への害などのデメリット面なども充分に立証しようともせず、ただ規制したかったのではないか?とも考えられるのでは。
「大麻は危険な薬物です」「大麻はダメ絶対」といった内容を筆頭に吹聴をしているのが厚生労働省なので、厚生労働省に勤める人間の脳内を推測するに、彼らからしてみれば「大麻はそもそも危険な薬物。」という認識が疑いの余地も無い常識であるだろう。
大麻由来のCBDなども然り、「大麻由来」というだけでどこか「薬物」いう認識が彼らにとっては非常に強いものであるのではなかろうか。
行政機関などに勤める人間からしてみれば、化学生成されたコカインや覚醒剤などの薬物とHHCを含めた大麻の成分であるカンナビノイド類に関しての認識がなんら変わりがないのではないかなと。
余談になりますが、以前より厚生労働省が"大麻がその他の薬物と同じ括りであるかのように" 現在に至るまで吹聴が行われている件について、どうも腑に落ちないと思っているという事に関して過去より一貫して記事を書かせて頂いております。
大麻は本当にゲートウェイドラッグなのか?

大麻が危険視される理由の一つとして「大麻はその他の薬物にハマる第一歩であるゲートウェイドラッグになりかねない」という言葉もよく目や耳にします。
しかし、厚生労働省による「大麻=コカインや覚醒剤と同じ薬物」という吹聴こそがゲートウェイドラッグの入り口になりかねないのでは?と私は考えております。
仮になんらかのきっかけで大麻を実際に体験した人間が、大麻もコカインも覚醒剤も同じ薬物だからとどこかで見た記憶を元に他の薬物に手を出しかねないのではとも思う。
だからこそきっぱりと大麻は大麻、その他薬物は薬物。とまずはきっちり認識を改めていくべきであると思う。事実、近年深刻になりつつある市販薬の過剰摂取問題も、様々な物が規制されてばかりいく現状の皺寄せの結果ではないでしょうか。
③そもそも国民の感情論がどうでもいい

現時点で、HHCの取り扱いのある事業者からすると「では対応としてはどうしたら良いのか?」という疑問が第一に問題となる。
「中身の成分はトイレや台所など回収不可能な所に破棄して頂き、アトマイザーの処分に関しては各自治体に問い合わせをしてください。」というのが厚生労働省からの回答だそうで。
トイレに流してくださいと一言で簡単に片付けてくれていますが、事業者からすれば原料輸入にもそれなりの資金がかかっています。お金をトイレや排水溝に流すに等しい事です。
-お金(紙幣や硬貨)を故意に破いたり燃やす行為は違法か?犯罪になるか?-
警察の民事不介入も然り、そのようなお金に関する問題も国民の感情は一切無視され、自己責任の名の下の常識とされるのが哀しくも国というものなのであろうか。
お国が法律で規制したからには、お役人様は「規制されている物を持ってる方が悪い」という思考回路になるのであろう。思考回路に寛容性のないマニュアル通りに生きる人間からすると「もし自分がその立場だったら」なんて事は考えるにも値しない事なのであろう。
「大麻は薬物であり危険。ダメ絶対」という風潮を作っておきながら、まるで当たり前の正義であるかのように「医療」という言葉を用いて、「医療面での活用を検討」という言葉を使う国。その足元にある「犠牲」というものをどうしても頭で考えてしまうのは、正義と犠牲の二つのうちの後者に自身の立ち位置が近いからであろう。
なんだか腑に落ちないなと思いつつも、世に対して矛盾のようなものを感じる感情も抱えながら、仕方ないことは仕方ないと呑み込んで諦めて生きていくしかないのが一国民としての常。果たしてそれが良い事なのか悪い事なのかは分からない。