東京、浅草神社の鳥居の注連縄(しめなわ)を奉納した。奉納したと言っても、呼びかけただけで実際の主催者は一般社団法人の麻結(あさむすび)なのだけれども、今月の15、16日に主催者及びそのスタッフ、そして賛同して参加してくれた方々と共に注連縄を奉製(制作)した。まぁ、奉製したと言ってもほぼ見てただけでほぼ何もしてないのだけど。
これで浅草神社には社殿にかかる注連縄と鳥居にかかる注連縄の二本の大注連縄が掛かったことになる。コロナ前にかかった社殿の注連縄も呼びかけて、NPO法人神麻注連縄奉納有志の会を主催者としてお願いしただけで何もしてないのでまぁ、特に何もしてないんだけど、取り付けられた二つの注連縄を眺めているとやはりなんだか少し体温が上昇するのがわかるから不思議なもんだ。
ときに大麻に関することに関わるとびっくりするようなことも多々あるのだけれども、今回の注連縄奉納でも多くの地元関係者や大麻に関わる人たちとの中で様々あった。今回の注連縄奉納で1番のハイライトは注連縄が取り付けられたことなのだろうけど、僕にとっての一番はそのちょっと手前、取り付ける作業だった。取り付けてくれたのは浅草の新門。『炎炎ノ消防隊』に登場する第7特殊消防隊大隊長 新門紅丸とかイメージした人は正解。僕も勘違いしていたが「暴れん坊将軍」のめ組の辰五郎は違う人らしい。そんんこんなで浅草に縁の深い新門に取り付けてもらったのは嬉しく、また「カッコいい」という言葉しか出てきないカッコ良さだった。
さて、それはともかく、「法改正されて、これからは神社に大麻の注連縄が気兼ねなく奉納できますよ」という話もあったが、これは間違い。今までもこれからも大麻の注連縄がダメだったことはない。大麻の注連縄の原料は精麻と呼ばれる大麻の茎の皮部分を加工したものだ。神社でガラガラ鳴らす鈴縄や相撲の土俵や弓の弦やらなんやらに使われているものだ。まぁ、注連縄も大麻である必要はなくて、豊穣や繁栄の祈願、そして結界やらの意味で、地方ごとにそれぞれ特色のあるものだ。神社によっては繁栄と豊穣の証として蛇の抜け殻を注連縄にすることもあり、藁縄であっても蛇をイメージしたお頭付きの注連縄もあるくらいだ。僕自身もビニールだけはやめてね、という思いがある。大麻の重要性を神社さんが知らない、あるいは養成機関で教えてこなかった、神社庁がそれほど重要視してこなかったという経緯もあるし、まぁ、これからの話だ。古神道や国家神道、歴史的なお寺との関係などなどまだまだ知られていないことも多く、今後の課題なのだろう。
CBD関係者も注連縄を作りに来てくれたり、協賛してくれたり、カンナビノイドだけでなく繊維としての大麻、伝統文化としての大麻に関心を寄せてくれたのは嬉しい限りだが、大麻に対する想いの純粋さと知識経験にまだまだ距離があることも今後の課題なのかもしれない。人のことは言えんが。そうはいっても雑草と神のあいだを内包する大麻、多様性も大麻だ。さまざまな意味であまりに神聖化するのも大麻の本意ではないだろう。たかが大麻、されど大麻なのだから。
どこかの神社の氏子だったり伝統文化や神道、大麻に限らず神社などに注連縄などを奉納したいなどの関心のある人は僕や、あるいは奉納したい神社さんなどに相談してみてください。
※アップが1日遅れてしまった、、、ごめんなさい。そして、是非、浅草に立ち寄った際には浅草寺だけでなく浅草神社(三社さま)にも足を運んでみてください。
松浦 良樹〈Matsumura Yoshiki〉プロフィール
環境問題や自然エネルギー、伝統文化などをメインテリトリーとするライターとして様々な媒体に執筆。
NPO法人日本麻協会理事などを務め、2016年7月に理事・長岡 沼隆とともに国立京都国際会館で開催された「第1回 世界麻環境フォーラム」(別名「京都ヘンプフォーラム」)と呼ばれる「IHEF(International Hemp Environmental Forum)」の初イベントを開催した。このイベントには、世界中から麻の専門家や産業家の他、安倍昭恵総理夫人(当時)、京都市長、京都最古の神社である上賀茂神社宮司をはじめ、大麻に理解のあるメンバーが広く参加した。
また、蚊帳研究家として蚊帳の歴史や文化の研究に努めるとともに、ヘンプ100%の藍染の蚊帳やヘンプストロー、ヘンプフィルター、ヘンプなどの衣食に関わる大麻アイテムの開発に携わり、普及活動を続けている。
2019年ネパールで開催された「ASIA HEMP SUMMIT」において「大麻と蚊帳の博物館の創設」「日本の祈りに関連した大麻」に向けた企画で起業家賞を受賞。大麻の専門店「麻草屋」代表でもある。
また、タイ王国バンコクで開催された「アジア国際ヘンプエキスポ 2022 」では二大パビリオンのひとつ「golden hemp pavilion」の責任者を務めた。
2023年、青淵渋沢栄一翁顕彰会〈士魂商才〉賞を受賞。