
変わりなく淡々と過ぎゆく日々の中で季節感というものを忘れがちになりますが、なにかしらと心の動く機会の多い春がそろそろやって来る。本日は読書感想文を。
第163回芥川賞受賞作「破局」
2019年文藝賞でデビューした新鋭、そして鬼才である遠野遥氏による第2作となる作品です。
日頃より小説は殆どと言っていいほど手にする機会がありませんが、たまには流行に乗っかってみることも悪くはなかろうと思い、手にしてみました。
「破局」は、まるで流れるような文の構成で物語が成り立っており、一種の協奏曲を聴いているかのような、緩急のある芸術作品を見ているかのような一冊であった。
作者による物語の緩急の付け方が非常に上手いと感じました。いわゆるこれが「才能」と呼ばれる類のものなのであろうなと。文字一つ一つで構成された文章の集合体としての芸術作品であるかのように思えました。
一つの言葉が、一つの文となり、いずれは一つの物語として成り立っていくものが文学であると僭越ながら感じられるようになりました。
人それぞれにペースがあるように、この作品はきっと合う人には合う、合わない人には合わない表現方法であると思います。私にとっては文学というものの素晴らしさを感じられる作品でありました。
私が日頃より文学的な本を避けていた理由の一つとして、このような本は意味を知ろうとしても、答えが得られるものではないと考えているからです。というより「正解がない。」と表現をする方が適切であるかなと考えています。文字による表現というものをストレートに感じ、楽しむ。
二つの飲み物が床に溢れた。という表現ではなく、"床の上で汚く混ざり合った"という表現が用いられており、日本語での作者の文章表現能力や発想力に感嘆させられました。
五感の一つである視覚から生まれる、視覚を主体とした表現というものを強く感じられる、そのような表現力の宝庫である一冊でした。この機会にまたいずれ過去の遠野遥さんの作品も手にして文学に触れようかと思います。
シェイクスピアは登場人物が多過ぎて、文学として触れるには現在の私には未だ難易度が高い。
漫画ワンピースは現時点で、総勢1174にも及ぶキャラクターが登場するにも関わらず楽しめる作品であるのは何故だろうか?
一つは漫画というものはキャラクターが視覚的にも分かりやすいように表現されていることにあると思う。主要キャラとストーリー進行における重要キャラ、知っているとより面白いモブキャラなどの作者の計らいも勿論あっての事。
ドラゴンボールもキャラクターの髪型という特徴がなければ、悟空もベジータもヤムチャも区別を判断するのに私には困難を要する。
五感というものは人間として様々な感覚を得られる事の出来る究極のツール。幸せだと感じる良いものも、嫌なものも何かしらの五感というもので感じなければ良くも悪くも感じることはない。
全ての五感から些細な事でも感じられるということ、それが人類として生きている喜びの根源ではなかろうか。その中でも、視覚というものは非常に大切であると思う。