大人のワンピース考察 空島編

カボチャはスープもパイにしても美味しい。

ちょっぴり大人な話だと感じた、ワンピース空島編。お子さまも楽しめる漫画である上に、大人になった自身までもがこのように様々な視点を持ち楽しめるこの作品には感銘を受けるばかり。

「人は共通の敵を持つと隣りの者を味方だと錯覚する!!」(ワイパーONEPIECE.com)

ワイパーの台詞はごもっともだなと。人生をそれなりに生きていれば、そんな風にも感じた出来事も過去にはある。

「なんておいしいカボチャのジュース」「ええ…本当にそれが何より」とカボチャジュースを飲むコニスとパガヤの掛け合いを自身が子供の頃はただ読み流していた。そんなシーンに深味というものを感じられるようになったのは、多少なり大人になっているからであろうとも思ったり。

美味しいものを美味しいと思える幸せ。健康である幸せ。人間の根本的な幸せであると思う。

空島には神エネルがいて、ガン・フォールも元々神様で、シャンディアにとっては先祖が神に等しい存在で。一つの国で「神」の概念が三種も存在していて。この物語の構成は我々の生きる地球でも起きている事の縮図のようにも感じた。

一見幸せそうに見える空島の方々も実際には色々ありますよね、お察しします。というのが簡潔過ぎますが空島編。

戦鬼ワイパーのような漢は近年稀に見ないタイプの格好良さ。しかし、ワイパーはどちらかといえば典型的な0/100人間。人間が共存しながら生きていく為にはガン・フォールのような人物が必要。

我輩はカボチャのジュースが…好物である!!」という台詞がこんなにも自身にとって多少なり重く感じるとは、十代の頃の自分は1ミクロたりとも思わなかった。

"食べ物を当たり前に食べられる"という背景には"平和"というものがあるのではないかと私は感じました。食事を美味しく頂ける事も人間として生きる上では、ありがたき幸せ。

そもそも人間とは不完全な生き物であり、完璧な人間なんて存在しないと思う。齢だけでも大人になれば成る程に、その完璧というものからは余計に遠くなって行くように感じる儚さが人生には存在する。だからこそ自身にとっては「大人の模範例」となってくれる人物がワンピース作中にしかほぼいない。

【おまけ】ガン・フォールの知恵

人が便利だと思う物には必ずそれに反する悪用方法があるものだ使う人間次第でな

貝(ダイヤル)は極めて便利であるが…それゆえ戦闘に用いればそれだけの力を生んでしまうのだ。