ロボコップ2

宇宙人と人間。

人間が宇宙人と認識する者、つまり宇宙人の視点からすると人間が宇宙人。

バンクシーが壁に描いたこの絵は、警察と警察でない人間の思考の違いをバスキア調の表現法を用いて描かれた風刺絵であると私は思う。この絵にどういう意味があるのかは描いたのかは本人にしか分からないが。

特に悪い事をしたわけでもなく、町の交番へ行く機会があり警察官と話す機会があった。自分の生き方とは真逆の立場で生きているであろう人間がどんな人間なのか興味が湧く事もある。

しかし、話した相手は精度の悪いAIのような宇宙人にしか私には思えなかった。「〇〇により〇〇は〇〇と決められています。」と堂々とロボットのように発言できるのは、それが彼らからすると身に染みついた当たり前の常識であるからだろう。

その上に「時間がかかるので何処か他の場所で待ってもらっても大丈夫ですよ。」と深夜1時をまわった時間帯にその警察官は言った。

AIですらもう少しまともな提案をしてくれるだろうと思った感情を抑えて、「この時間に他にどこで待てと言うんですか?まん延防止のご時世のこの時間帯にやってるお店あります?」と本心で疑問に思った事を返した。

こちらが求めてもいない提案をしてきた上に、その提案は"現実的に実現は不可能な提案である"事にこの警察官は気付きもせずに発言をしているのか?だとしたら町の治安を守るはずのお巡りさんの思考回路はまともじゃないな。と私の心は懐疑心でいっぱいになった。

簡潔に伝えたはずなのに、この時間に営業している店でもあるなら教えてくれという疑問についての返答は返って来なくて、代わりに警察官はぽかんとした顔をしていた。

自分よりも長らく生きている筈の中年男性のあの顔がある意味衝撃的で忘れられない。同じ日本語で、小学生にも分かるような言葉で伝えたはずなのに、伝わらない人間には伝わらない事もあるんだなという恐ろしさにも似た感情を同時に抱いた。

ぽかん顔を浮かべた警察職員からすれば目の前にいる私という存在は"感じの悪い人間である"と認定して終わるだけなのだろう。

白い壁に覆われた空間の中に、正義の名のもとにおいてそこに存在する思考に、短い時間だったが廃れたRPGの世界の中にでもいるのかのように私は感じた。

人間それぞれ何を選んで、何を見て生きてきたかは千差万別だから仕方ない。同じ世界を見ている人間が集まると思考も偏りやすくなる。同じ職場の人間同士というのは特に同じ世界観を共有している者同士である訳で。

そんな同じような価値観ばかりになりがちな思考の中で、時に自分とは正反対であるものを突然目の前にした時に人間は、時に理解に困難を要する事もあるもので、理解することを自分の頭で放棄し、目の前にある自分とは異なるものを悪いものであると判断してしまえる能力も人間としての恐ろしさであると感じる。

例え私が彼ら警察官に対し何かを思い、発言が度を越してしまえば「公務執行妨害」という切り札を彼らは切ることができる。警察官とは使い方次第ではチート能力にもなり得ないデタラメな権力を持った職業でもあるなと思うのは私だけであろうか。

警察官である彼らのうち何人がきちんとそれを理解した上で職を全うしているのだろうか?とまた一つ疑問に思った。この話をしたところで、彼らはまたポカンとした顔しかしないだろうからわざわざ話したいとは到底思えないけれども。

警察に勤めていると、法律こそが正義であるかのように思考回路が偏り寛容性もなくなり、それが当たり前になるのであろう。アドリブに対応できないマニュアル人間が多いのだろうなと感じたというだけの話。

「ごめんなさい、私はただ自分の仕事をしているだけです」