この世はさまざまな原因と結果で成り立っていると考える。
例えば日々の食事も人生における選択の一つ。
自分自身が食べた物が自分自身の身体を作っていくことになる訳であるから。日々の食事の選択が「原因」とすると、数年後の自分の身にそれが「結果」として現れる。
人間の人生とはそのように原因と結果が循環していると思う。
心当たりのある人物に限るが、自分のした行いに対する制裁が加わる日をじわじわと待ちわびるが良い。必ず自分が起こした行いに対する対価は結果として良くも悪くも必ずやってくるのであろうから。
自分の行いに対する代償を償わずして生きようとしても、必ず人生のどこかしらで何かしらの"エラー"は発生するであろうと考えられる。
行動(原因)とそれに伴う結果で人生に障害が起きるのか、それとも自分自身の選択(原因)により精神面でエラーが生じるなど様々あると思いますが。
想像してみてほしい。
例えば仮に、自分の行いが他人に損害を与えたとして一切の償いをせずにのらりくらりとかわしてみせたとする。自覚していない場合も同等。
仮に、人生を終える間近までそのように無事に生きれたとしよう。
果たしてそれは運がいい事なのであろうか?運の悪い事なのであろうか?何事も誤魔化して生きてこられた人間は、幸せの価値観も自分で誤魔化してしまっている人間も多いのではないか?
後ろ暗いものを抱えながら生涯を生きて本当に人生幸せなのか?と様々考えさせられるが、所詮人間とは自分の目の前の事に視界を取られて精一杯。どんな人生であれ、人生の最後に心から笑えたらそれは幸福なことに思う。
人間みな、自分自身のプロデューサーという話です。