夢の続きを いつまでも探していた
あまねく町の側で 揺蕩う路地裏
米津玄師の作る曲は美しい。
バーバーバーバーと音が鳴ってるだけの曲と違って一言一句にきちんと音が乗っている。
絵なり曲なりを人の心を動かすものを形として創る事のできる人からは、発想の具現化を現実世界で実現させている人間として自分より一歩先を行っているようで感銘を受ける。
「想像ができなければ創造できない。」という洒落の効いている言葉がふと頭の片隅から蘇り、どの偉人の言葉だったかなとGoogleで検索をしてみてもヒットしない。
どうやら似たような事をアインシュタインが言っていたようだが、もしかしたら「想像ができなければ創造できない。」という言葉はどこかで見た偉人の紡いだ言葉を、自分の中でアレンジして置き換えて記憶していたものかもしれない。
これがきっと解釈というやつで、解釈というものは人それぞれ色なり形を変えながら受け継がれていくものなのだろうなとも思った。
世の中には二種類の人間がいると思う。
想像を得意とする人間と、創造を得意とする人間。想像とは脳内においての出来事に過ぎないが、創造とは実際に何かを形にして創り出す事。
想像ができる人間と創造ができる人間が同じ人物とは限らない。自分自身も含めてどちらか一方に偏る、不器用でバランスの悪い生き物が今まで人生で自分の眼のレンズを通して見てきた人間という生き物。
想像はできるが、なかなか思うように創造がうまくいかない。自分とは正反対である創造の得意な人間や、極論的な表現だがロボットのような作業を苦とも感じられずにこなせる人間もごまんと世の中にはいるのであろう。
頭では理解していてもなかなか頭で思い描いたようにはいかない一本道で、想像力と創造力のどちらを兼ね備えている器量の良い人間も世の中にはぞろぞろといるんだろうとも思う。
それが俗に「成功」と呼ばれる類のものなんじゃないのかとも思う。勿論その影には人並み知れぬ努力や、人並みである人間が味わわない感情もあるだろう。
頭を動かすことと手や足を動かすということは同じ脳を使っているようでまたどこか違うものだと私は感じる。
なかなか操作の大変そうなガンダムに乗って宇宙空間で人間たちがバトってるという設定も、シンクロ率に適応性がないと操縦できないエヴァンゲリオンも、ある意味人間の生きるこの地球で行われている現実とそれほど大差がないのかも知れない。